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新潟県の産業経済と文化「風知草」のホームページ
経済産業論
『歴史的形成過程からみた新潟県の産業構造』
越後各地の木綿織物が特産物化する時期は、1818年からの天保年間(1818年〜1843年)
である。そのきっかけは高機 などの導入である。産地として知られるところは、亀田・葛塚(豊 栄市)・吉田・白根・小須戸・長岡・今町・見附・村松などであり、その多くは平野部の町場であ った。縞木綿が多くその用途は農作業用の野良着である。
越後の織物産業は農業部門を背景にしたことが窺えるのであって、京都などの支配上流階
級の需要に対応するものではなかった。
本章では主として見附に形成された木綿織物について考察する。
第1節 見附結城縞
綿を使用した織物は栃尾・五泉・見附・加茂等である。海岸に近い平野部であって降雪量が
少なく農耕や漁業が山間地よりも恵まれていた。綿や桑の栽培に適していた反面、天然の苧 (からむし)が比較的少なく麻布の生産よりも綿布の生産が先行することになったのであろう。
村松藩領であった見付では1711年(正徳1年)には地機を使った木綿織物の生産が行われて
いる。1751年以降(宝暦・明和期以降)「見附おくら」といわれる撚りの強い太い綿糸で織られ た厚手のものが生産されるようになる。主に帯地に使われていた。「小倉織」が安永年間 (1772年〜1780年)関東に伝わり、それが見附に入ったと考えらている。あるいは外観が似て いたのでそのように呼称されたのかもしれない 。見附の木綿織物は幕末には全国に名前が 知られるようになっていた。
表 1 小倉織
(1)見附結城縞の生成
縞木綿織物のきっかけは村松藩の家中婦女子の手内職のために始めた木綿織物に供給す
る木綿糸の生産がきっかけになる。
桐油行商人山田屋勧右衛門は行商の途中下総(茨城県)の結城で、各地から大量の木綿
糸を買い付け織物生産をしている実状を見聞し、同地で糸取り法を学ぶと同時に「時計車」と 称する糸繰車を入手、これを見附に持ち帰っている。
家中の家計補助を模索していた藩はこれを採用し製品の結城への販売を考えたのである。
しかし越後のどこかの産地で不良品が生じ結城での越後産木綿糸の評価が落ち、村松藩の この企ては頓挫する。この危機打開のため1825年(文政8年)勧右衛門を、翌年清八をそれぞ れ「高機世話役」に任命する。彼らは、足利から高機を買い入れ、技術導入のため足利の熟 練した織子2人を2年契約で採用する 。当時としては破格の賃金であったという。さらに1830年 (文政13年)には清八は結城から男女5人の染め職人を高給でやとった。
このような努力が実り見附の製品も天保期(1830年〜1844年)には「見附結城」の名称が使
われるようになった。
表 2 結城織
(2)見附結城縞の生産と流通
1842年ごろ生産高は1万反から1万5000反といわれている 。以後禁止令もあり一時生産は
落ち込むが、出機制が進んだことや明治の開港以後の唐糸(外国製綿糸)の導入により生産 高は急激に伸びる。1873年(明治6年)には18万反に達している。
次表からは、1841年(天保12年)に比較し1864年(元治1年)幕末期には飛躍的な増加を示し
たことが見てとれる。このような織物業の発展は見附の生活を急速に変えていった。町では内 機に通う織子、染め物や下ごしらえに従事する男女の往来が増加し、織物業を軸に様々な産 業が発展していくことになる。
表 3 見附縞生産高(第6区小7区)
330
(注)木綿縞は上中下三品等あり、値段がそれぞれ異なっている。
(3)生産体制
見附の機屋は当初織小屋 を持ち、織子を雇って働かせる内機という形で営業した。しかし、
1844年(天保末、弘化元年)頃から織子に機具・原料糸を貸し付け在宅のまま織らせ織り賃の みを支払う出機が主流になる。
内機の場合は糸引き、機拵え、機織りなどを分業しマニュファクチャー的生産様式になってい
ることが窺える。内機には抱え織子と通いの織子があった。抱え織子は住み込みである。禁止 令の時代は養女と偽って織子を置いた例もある。通い織子は禁止令により、一時途絶えるが 後に特例として一部みとめられ、藩の統制の緩みに従って次第に在宅の織子、いわゆる出機 の織子として活躍していくことになる。
この出機は、61挺を数えた。
表 4 本所組出機
(資料)『見附市史』上(二)、『新潟県史通史編5近世三』P.333
(4)明治期の見附織物
中国から柞蚕糸 を輸入して新しい形態の織物が作られた。これは絹糸と綿糸を交織する
「絹綿交織物」(けんめんこうしょくおり)と呼ばれた。この範疇に入るのが「平和織 」後に「新節 織り」(しんぶしおり)であり、見かけが絹織物のようでありながら値段が安いので庶民の外出 着としてよく売れ、見附の特産品になった。
さらに1898年(明治31年)北越鉄道が見附を通ることになり直江津を経由して東京・大阪・京都
まで販路が広がり、産地としての見附が全国に知られるようになった。
この当時の見附の織物は先染めの木綿縞(綿織物)であり絹織物ではない。見附に絹織物
の技術が導入されたのは1874年(明治7年)とされる。見附町の渋谷亀冶、三本喜一郎の機屋 が山形県米沢から節糸織の職人を招き導入した。「絹綿交織物」にその技術が活かされ全国 に名前が知られるようになった。
一時期不良品の指摘が行われ洗わない内から染めが落ちると不評 であったという。そのた
め木綿縞を扱う問屋は「正紺組合」をつくり品質保持のため証紙を貼付した。これに対して節 糸織組合は製造者の押印や丈・幅などの統一と組合の検査などを表示し粗製濫造防止により きめ細かい対策をとっていく。
(5)明治後期の見附織物
輸入綿糸と国産の手紡糸に依存していた織物業界の中にようやく国産の製綿糸が登場す
る。紡績業の勃興である。この紡績業は大阪を中心にしており大坂から日本海経由新潟港に 運ばれた。新潟港からは蒸気船に積み替えられ三条まで運ばれここから見附、加茂、小須 戸、白根、亀田、葛塚などの機業地に卸売りされた。
次表の丸金 の記録は興味深い
表 5 丸金の記録
1902年(明治35年)ころからバッタン が普及する。従来の高機は1日約1反しかおれなかったが
バッタンであれば1日約2反は織ることが出来た。この普及は見附織物の生産高を飛躍的に増 加させた。
表 6 見附織物の生産量(明治32年〜明治45年)
1908以降:見附織物同業組合『業務成績報告書』
いずれも大島栄子『見附織物のあゆみ』P.116から転載。
(6)羽二重の登場
日露戦争後羽二重業者と絹綿交織物業者とはその棲み分けが顕著になってくる。羽二重業
者は各自工場を有し、足踏み機を備えているが絹綿交織物業者はその多くを出機に頼り工場 を有しない。せいぜい自宅に4〜5台のバッタンを有するくらいである。この背景には羽二重は 簡易な開業は無理であり当初の資本は当時1万円以上の資金を必要とし相当の資産家でなけ れば開業は困難であった。
羽二重業者の第一位は合名会社丸三機業場 で年間の売上は82,525円、女工74名であっ
た。これに対し絹綿交織物業者の第一位は佐野庄吉 であり、年間販売額は23,589円。全て出 機であって女工102名を抱えていた。効率も羽二重に比較して落ちる。やはり日用品の域を出 ていない 。
表 7 羽二重
第2節 各地に見られた木綿織物
(1)亀田縞
亀田縞の起源については享保年間(1716〜1736年)という説と寛政年間(1789〜1801年)と
いう説の両者がある。1722年(享保7年)には、鎌田町の権兵衛が大阪商人から藍玉を購入し ていたとの記録 がある。自給用の藍 は身近な生産物である蒲原藍を使用していたのである から、このころから商品化が始まったというべきであろう。寛政年間には生産量も増加し機屋 を始める者もあらわれた。このころから亀田町の製品を亀田縞と呼ぶようになった。
文化年間(1804〜1817年)には木綿織物を扱う商人は仲買仲間を結成している。1808年(文
化5年)には、植村仁四郎が野州から「長機」を伝え、品質の向上を図っている。この織り機は 高機であり、葛塚や小須戸で「大和機」と呼ばれていたものと同じ型と考えられている。亀田縞 も一応の水準に達し、生産量も伸び、産地を形成していったといえよう。
天保期(1830〜1844年)には生産技術と共に流通面でも拡大がみられる。白根・三条・見附・
二本木(横越村)の在方商人や農民がそれぞれの土地の木綿織物を持ち寄り、集荷された。 この約7割を葛塚の商人が買い占め、新発田・加治・中条・村上方面の商人に販売したと伝え られている 。
(2)葛塚縞
葛塚でも地機(躄機)によって自給自足の織物を織っていた。
1820年(文政3年)に大和機 の導入が行われ、葛塚織りは特産物としての量的拡大を成し遂
げる。それまでの地機は一反(3丈4尺)織るのに、3日半要したというからそう問うな新鋭機だ ったことになる。
この大和機の導入にあたっては2説ある。一つは新助なる者が大和国(奈良県)で技術を習得
した後故郷に帰り開始したという説 、今ひとつの説は弘化年間(1844年〜1847年)に村山半蔵 が五泉から職工を雇って講師にしたのが始まりとの説 である。
安政年間(1854年〜1867年)には生産量は年間12,000反になっている。原料となる木綿は、
石山(新潟市)、木崎(豊栄市)など土壌が砂質の村々で栽培されていた。
(3)小須戸織
1801年(享和1年)竹石留吉が地機により木綿を織ったことが始まりとされる 。1866年(慶応2
年)には織子が町内289人、新保村(小須戸町)4人の記録 がある。 |