○シリーズ第8回は、「轄]口だんご」です。江口だんごの社名は明快です。名前の通り"ああ、だんご屋さんね"と、すぐに分かってもらえます。
最近の社名は、名前だけでは製品をイメージできないケースが、意外に多いものです。カタカナやアルファベットの社名が増加しています。そのなかで当社のネーミングは、製品を具体的に示しており、知名度は自然に高まります。しかも江戸の昔から庶民に親しまれてきた"だんご"です。
「江口だんご」は長岡市民に親しまれる存在です。
○創業は明治35年です。社長の江口賢司さんのおじいさんにあたる江口駒吉さんがだんご屋をはじめました。その場所は、信濃川の中州であったと言います。
当時の信濃川は、中央に大きな中州がありました。この中州を利用して長生橋が架けられたのが明治9年4月です。長生橋は、長岡の発展と共に東西を行き交う人々で大変賑わったことは良く知られています。この中州が、おじいさんの駒吉さんが営業していた場所でした。
○長生橋の賑やかな様子は、水島爾保布(にほふ)の筆になる『長生橋の図』で知ることができます。この絵は長岡市が昭和61年8月30日に発刊した、『ふるさと長岡の歩み』の表紙に使われていますから、ご存じの方も多いはずです。中央に中州を配し、その左側に「大橋」、右側に「小橋」が描かれています。2つの橋には人力車が幾台も行き交い、旅人や行商の商人が忙しげに歩いています。川面にはたくさんの船が浮かびます。
まことに賑やかな、そして穏やかな古き良き長岡の姿です。その中州中央にある3軒のお店のひとつが、江口だんごの創業時の姿です。
○長岡が生んだ芸術家に描かれたのは、江口さんにとって幸運です。このように歴史的に由緒ある絵画に登場すれば、なお一層印象深くなります。
残念なことに、この中州はその後の大水で流されてしまいます。駒吉さんのお店も、並んでいたほかのお店も流されてしまいました。中州が無くなったのですから再建は別の場所にせざるを得ません。
駒吉さんは今の山田町に店舗を再建します。信濃川は交通の要衝であり、今後も賑わうと見込んだからです。今度は船頭衆の船宿や写真館に転業します。
轄]口だんごが確立するまでにはまだまだ曲折がありました。(つづく) |